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【坊っちゃん】夏目漱石の妄想が綴られているだけの小説

『坊っちゃん』という小説は知っているが、読んだことはない。という人が大半だろう。

 

「難しそう」「読みにくそう」「説教くさそう」

色んな負のイメージがあると思うが、読んでみるとそうでもない。

 

昔の言葉で書かれていて、改行もロクにされていないから、ページを開くと埋め尽くされた字で真っ黒、ということもあり、読みにくいのは確かだが、難しくはない。

 

千円札にも載るようなスゴイ人が書いた小説だといっても、あまり身構える必要はない。

『坊っちゃん』は根性のない夏目漱石の妄想が書かれているだけだ。

 

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『坊っちゃん』ストーリー

 

 数学教師として中学校に赴任した坊っちゃんが、教頭や先輩に対してグチグチ文句を言い続ける。

 

『坊っちゃん』は漱石の「私小説」という名の妄想日記

 

『坊っちゃん』は漱石の実体験に基づいた話だ。

主人公の坊っちゃんは鋭く人のおかしなことを見抜いて、批判をし、生徒には厳しく制裁をし、上に対してもズケズケとモノを言う。

校長には「狸」、教頭には「赤シャツ」、先輩には「山嵐」と、変なあだ名をつけて批判しまくる。

 

坊っちゃんはすごく根性のある人間として描かれているのだ。現代で言うとホリエモンみたいな感じか。

 

しかし、実際の漱石はとても病みやすかった。ロンドンへ留学行った際も、引きこもってしまい、すぐ帰国するというどうしようもないヤツ。

 

こんな人がここまで根性のある行動をとれるのだろうか。

 

最後は教頭とスネ夫(野だ)みたいなヤツに、謀略によって罪を被せられ、仕返しにこの2人をボコボコにして終わるのだが、本当にこんなことしたんだろうか。

謀略にハマってスゴスゴと東京に帰っただけと違いますか。

 

妄想しているだけ、という点では夏目漱石も現代のボク達と何ら変わりがない

 

自分のできないことは「妄想」の自分にしてもらう。ボク達もよくこんなことをしてるのではないだろうか。

 

同僚に嫌がらせをされたり、先輩にポカポカ殴られたり、そんな時、仕返しでもできたらいいのだが、気の弱い人はそんなこと、とてもできない。

 

その口惜しい気持ちをどのようにして発散するかと言うと「妄想の中の自分に仕返ししてもらう」のである。

 

半沢直樹のように同僚を皆の前で糾弾する。先輩を体育館裏に呼び出し、圧倒的な力でボコボコにする。

ボクは風を操り、先輩を学校にある裏山まで飛ばしていた。(『忍空』の風助の影響)それを偶然見かけたクラスのマドンナがボクに惚れてしまい、そのまま交際、派手な求婚、幸せな結婚生活。

このような妄想をして、その悔しい気持ちを静めていた。

 

漱石の『坊っちゃん』もこのような感じを受ける。

数々の嫌がらせを生徒や教頭から受けていた。これは漱石の実体験だろう。

でもその後、生徒に対して厳しい制裁を加えようと会議で立派に発言したり、教頭に仕返ししたりとかは多分、漱石の妄想。

 

自分では何もできないから妄想の中の「スーパー漱石」で仕返ししてもらってたんだろう。妄想は自分の頭の中だけで終わらせてほしいところだが、やっぱり紙幣の顔になる人は違う。

文字にしてそれを出版しちゃった。ボクなら恥ずかしくて、そんなことできない。

ある意味、根性があると言えるのではないだろうか。変な方向に向かってしまった根性だけど。

 

『坊っちゃん』は名作で、教養をつけるために一度は読んでおけ、とよく言われるが、そんな大層なものではない。

ただの妄想だ。ボクが風を操り、先輩に仕返ししている妄想を文章にしているのと同じようなことである。

 

大昔の行動や考え方は現代と何ら変わりはない

 

『坊っちゃん』は明治時代に書かれた本だけど、登場人物の考え方、行動は現代とほとんど変わりがない。

 

それを印象付けたシーンがある。

度がすぎたイタズラをしかけてきた生徒の処分をどうするかという会議の場面。

皆が「教師の教育が悪い」とする意見でまとまりかけていた。

坊っちゃんは「いや、どう考えても生徒が悪いやろ」と反対意見を出そうとしていた時、「野だ」というスネ夫みたいなヤツが「これこれこうでありまして~こうなので~校長と教頭の意見に賛成であります」みたいなことを難しい言葉で言った。

それを聞いた坊っちゃんは「いや、何か難しいこと言ってるけど、結局賛成なんかい!なんじゃそら」みたいなツッコミを入れる場面がある。

 

このシーンは現代でも至る所で行われているだろう。

 

会議中、社長のクソみたいな意見で、皆が不満に思いながらもまとまりかけていた時、誰かが満を持して立ちあがった。皆は期待する。「この空気で発言するということは、反対意見を言うのだな。よっしゃ、行けえ~」と。

しかし出てきた言葉は「私は~で、~でありますから、そして~なので、結論は……社長の意見に賛成であります!」

発言を聞いた他の人はこうズッコケる。「いや、反対ちゃうんかーい」と。

 

まとまりかけてる空気だったら、いちいち「賛成」という発言は必要ない。これは社長に気に入られるための発言でしかなく、大概長々と喋るため、時間の無駄でしかない。

このように現代にも通ずるシーン、考え方がいたるところに見られる。この辺が『坊っちゃん』の面白いところ。

結局100年前の人間も100年後の人間もやることは一緒なのである。

 

まとめ

 

「夏目漱石の作品は敷居が高そう」だと思うかもしれないが、そんなことはない。

漱石自体がボク達とあまり変わりのない人間だからだ。頭は良いんだろうが、人間的に素晴らしいのかと言うと、大変疑問である。抜いた鼻毛を原稿用紙につけまくっていたらしいし。

 

偉い人も評論家も「すごいすごい」言い過ぎ。『坊っちゃん』は結局妄想でしかないんだから、偉大なイメージなど捨てて、「根性なしが書いた妄想小説」ぐらいの気持ちで気軽に読んだらいいかと思う。この小説に深い意味などない。