「働きたくない」という熱い想いだけは誰にも負けない

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観葉植物から見る犠牲の精神

観葉植物に水をあげるのを忘れていた。この暑い中、水なしで過ごすのは非常に辛かったことだろう。すまぬ。

 

その時気が付いたのだが、水を長い間あげていなかったにも関わらず、全体としては結構元気な姿なのである。ひとつの葉を除いて。

 

ひとつだけすごく枯れていた。全体が枯れるんじゃなく、ひとつの葉だけすごい勢いで枯れているのだ。

 

これはおそらく、「皆、オレの養分を吸い取って、生き残ってくれよ!」とその葉は自らの養分を差し出したのか

「オレ、死ぬから。オレの分の水は皆でわけてくれ…」みたいな感じなのか。

 どちらにせよ、美しい犠牲の精神である。

ボクは泣いた。こんな悲劇のドラマがボクん家の玄関で繰り広げられていたとは。水あげてりゃ済む話だったね。メンゴ。

その尊い犠牲を見て、色々考えてみた。

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自己犠牲は美しいがそれでは根本的な解決にならない

 

「自分の身を犠牲にして、周りを助ける」

観葉植物で、その光景は繰り広げられたが、そういや同じようなことを最近見たような。

そうだ。森友学園問題だ。

 

財務省の人が何人か処分されてそのまま、うやむやになった事件だ。枯れて落ちていった葉っぱと財務省を辞めた人が重なったのだった。

 

辞めた人は「犠牲はオレだけでいい…。これで皆が助かるなら…」みたいな自己犠牲のの気持ちがあったのだろう。枯れた葉っぱのように一見美しく見えるが、ちょっと待て。

 

観葉植物の危機の原因は「水がないこと」だった。

これが根本的な問題で、ボクが水を足せば済む話だ。だから枯れた葉っぱは、本当は自分を犠牲にし、枯れる前にボクに言いに来るべきだった。「大将、水足してくれんと、困りまんなぁ。このままやと皆枯れてまいますわ」と。

 

まあ、枯れた葉っぱを見て、ボクも気が付いたのでよかったのだが、あのまま気が付かないと木ごと枯れていたことになる。

 

森友学園の問題は、「過度の忖度」とか「出世欲」とか「改ざんの習慣」とか、根本の問題は沢山あるだろう。観葉植物でいう「水をやること」のような根本的な問題解決には至っていない。

 

何人か処分してハイ、終了。な~んの解決にもなってない。この問題にも水をやらんとあかんのとちゃいますか。

 これは企業にも言えるだろう。不祥事起こして、社長が責任とって辞めても、何の解決にもならない。

 

当事者である社長がその問題の解決にあたるべきだが、大概すぐに辞める。これは「自己犠牲の精神」という美しいものではない。「逃げた」だけだ。

 

なんでも辞めればいい、処分すればいい、という話ではない。

根本的な問題を解決しないことには誰も納得しない。解決してからやめろ、という話である。

 

枯れた葉っぱも明らかに茶色になることによって、「水がないから、入れてもらう」という問題解決に取り組んだ。

 

何のアクションも起こさないうちからただ辞めるだけ、なんてヤツはウチの葉っぱ以下だ。水を入れ忘れたボクはもっと下だ。マジでメンゴ。