「働きたくない」という熱い想いだけは誰にも負けない

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理不尽は人を強くするらしいが、ないに越したことはない

「理不尽は人を強くする」

こんな言葉がある。

 

社会に出ると理不尽が雨あられのごとく降り注いでくる。

理不尽な目にあうのが、社会人の仕事だと言っても言い過ぎではない。言い過ぎか。

 

この理不尽という奴は受けすぎると精神を病んでしまう恐れがあり、非常に危険なもの。

しかし、それを百も承知で平気で押し付けてくる鬼のような人間が存在する。

会社のお偉いさん方だ。

 

会社のお偉いさん方は自分に恨みが来ないように、うまく部下に理不尽を押し付けなければいけない。

社長「どうしたら、理不尽を押し付けられるかなぁ?」

常務「理不尽を『良いもの』にしてしまえばいいんですよ、社長!!」

 

こういう経緯で「理不尽は人を強くする」が生まれたのだと思う。

 

Anger?

 

なぜ「理不尽は人を強くするのか」理由を考えてみた。

 

理不尽に耐えることで忍耐力がつく

 理不尽に会っても反撃せず、ただただ耐える。

その繰り返しで忍耐力が付き、強くなるということである。

 

日本人はとかく「我慢」が好き。理不尽な目にあってもグッと耐えることが日本人にとっての美学であり、それができないとボクのような落伍者になってしまう。

 

「忍耐力」「強くなる」「成長」をもたらしてくれる、と言えば理不尽というものがすごく良いものに思えてくる。

 

「こんな理不尽を押し付けるのは良くない」と反面教師として自分の成長に利用できる

 理不尽に合い続けることによって、「こんなことはこの先しないでおこう」と自分の行動に良い影響を与えるための、反面教師とする。結果自分の成長につながる、ということ。

 

ひとつ疑問に思うことは理不尽というものは、おそらくボク達人間よりよっぽど早く誕生しており、大昔からあるのにまだしぶとく生き残っているということだ。

 

家康など人生そのものが「理不尽」と言ってもいいが、それを結構部下にも押し付けたりしている。

理不尽を反面教師にして今後の自分の成長につなげる、という行動はご先祖様、先輩方はしてこなかったのではないかと考える。

 

STRESS!

 

 

成長よりストレスが勝つから!!

 

 以上、理不尽の良い面を無理やり見てきたが、(これは大量殺人鬼の良いところを出せと言われているぐらい辛い作業であった)、結局この台詞に尽きる。

 

「悪い、成長とかどうでもいい。頼むから理不尽なことはやめてくれ」

次はボクが思う理不尽の本当の姿である。

 

忍耐力がつくのではない、慣れるだけだ。

 「理不尽で忍耐力がつく」というのがまずおかしい。忍耐力がつくのではなく、ただ「慣れる」だけだと思う。人間どんな環境でもある期間をおけば、慣れてしまうものらしい。

 

人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、と答えるだろう。

夜と霧 新版

 

これはナチスの収容所に入れられた時の記述である。あれほどひどい収容所でも慣れることができるという。

 

理不尽など毎日のようにあっていれば慣れるに決まっている。そして何が理不尽なのか、わからなくなってくる。

 

これがいつまで経っても理不尽がなくならない理由だと思う。慣れてしまうから、それが理不尽だと思わなくなり、反面教師にもできず、あとの世代にも平気で理不尽を押し付ける。

 

理不尽に耐えるだけでは強くならない

 理不尽に耐える、などということは誰でもできる。だから成長はできない。

 

理不尽で成長したいなら「理不尽を理不尽だと言う」ことが大事だと思う。上に逆らうのは大変だし、勇気もいる。大変だけど、それだけやる価値がある。

 

それで理不尽がマシになるなら、自分や周りにとっても良いし、勇気を出して声を挙げたことは必ず自分の成長になっているハズ。

 

放っておくとさらに理不尽が加速し、進化してくるので、さらに「我慢」しなくてはいけない。せっかく慣れてもさらなる理不尽が襲ってきたら、また慣れなくてはいけない。

理不尽の無間地獄である。こんなところでよく働いてるなあ、とボクなんかは思う。すごいよみんな。

 

主人の悪事を見て諫言する家老は、戦場にて一番槍を突きたるよりも、遙かに増したる心緒なるべし

徳川家康

 

家康もこのような事を言ってるが、やっぱり上に意見をするのは非常に勇気のいる行動なのだろう。「一番槍よりも」だからね。

成績出すより、意見するのが難しいということを家康は遠い昔から助言をしてくれている。

 

Tokugawa Ieyasu

 

 

理不尽は仕方のないものなのか?

 

 理不尽についてこのような言葉があるので紹介。

 

理屈どおりに事が運ぶものなら、この世は人間の国ではなく、神の国になってしまう。感情が介入するから、この世はおかしく、悲しく、腹立たしく、つまり人間の世界となる。

打たれ強く生きる (新潮文庫)

 

理不尽は感情によって引き起こされる。理不尽がない世界など人間の国ではなく、神の国であるから、理不尽が発生するのは良いことなのだという考えだ。

 

ここまできて理不尽に対しては「仕方ねえ」という結論が出そうだが、これが真実なのだろう。

 

まとめ

 理不尽は腹の立つものではあるけど「あって良いものなのだ」と思えば多少、見方も変わってくるかもしれない。

しかし、無理して「成長できるから」といって我慢し続けるのも良くない。言うべきは言い、限界が来たらさっさと逃げる。

理不尽は存在して当たり前だけど、決して「良いもの」ではないのだから。ましてや「成長につながる」ものでもない。