「働きたくない」という熱い想いだけは誰にも負けない

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教養とは何ぞや?無職が一生懸命考えてみた

教養がある。良い言葉である。

教養がある。言うだけで頭がよくなった気がする。

教養。それは立派な社会人になるためには、必ず身につけるべきものである。

………。らしいのだが、この教養って一体なんだ?

 

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知識とはまた違うのか?

 

教養に関する本は沢山あるのだが、著者によってその定義も違うのか、内容も結構バラバラである。しかし、教養に関する多くの本はただ「知識を網羅している」だけのように思える。

 

じゃあ「知識を増やすこと」が教養なのか?というとそれも違う気がする。だってそれなら教養なんて言葉使う必要がないじゃないか。ただの「知識」でいい。

 

教養と知識の違いを辞書で調べてみた

 

考えてもわからんので、助っ人を用意した。三省堂国語辞典先生 第七版である。

 

教養

 すぐれた行動力、理解力の成長を助けるものとしての、広い知識と豊かな心(が持てるように自分をきたえること)。

 

知識

 

  1. 知っていることがら
  2. 事物についてのはっきりした認識。

 

痴女
  1.  色事しか頭にない女
  2. 女の痴漢

 

最後の言葉は「知識」の近くにあったので、調べたまでのこと。別に興味があるとかないとか、そんなのではない。紙の辞書の良いところは目的の言葉以外も目に入ってくること。

だから紙の辞書を一冊持っておこうということを言いたかっただけだ。ホントだ。

 

本題に戻ると

知識=ただのものごと

教養=自分の成長や行動力を得るための知識を得ること

ということか??

 

教養とは自分を鍛えるための知識

 

「教養をつけるために沢山の本を読もう」「文豪の本を読もう」

 

本を読むのはいいが、それが自分の成長につながらないと、それはただの「知識」となる。自分につながる知識を得ることが「教養」なのだ、これでいいのでしょうか?教えて偉い人。

 

とにかくやたらめったら知識を詰め込む行為は教養でもなんでもない。ということである。とかく社会人は知識を詰め込む行為が「教養」と思いがちである。

 

たとえばこの歴史の本だって

 

いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編

 

「ビジネスや社交の教養にはこの一冊だけで十分だ」と帯では言ってるけど、ここで得た知識が自分の行動や考え方に何か良い影響を与えないと、それはただの「知識」となり、「教養」にはならない。

 

この本もそうだ。

 

1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365

 

こういうのを読むのが「教養」だと思うのは非常に危険。これを読んで偉くなったつもりで満足していては決して成長などできない。ただ本自体はすごく面白い。欲しい。無職なので買えない。誰か買ってくれ。

 

ちなみに原題の「The Intellectual Devotional」は「知性のある短い祈祷書」という意味であり、「教養」という意味ではない。

 

出版社が

「『教養』って書いといたら、アホな社会人は買いよるやろ」

と思ってつけた邦題であると考えられる。

その通り。「教養」とさえ書いておれば、皆買います。

 

しかし、この本を「教養」にできるか、ただの「知識」で終わらすか、それはアナタ自身なのである。

 

多くの社会人に必要な教養はコレだ

 

「自分の成長に落とし込める知識のみが教養となる」

になるとすればボクはこの本が一番だと思う。

 

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

 

誰もが知ってる学問のススメである。

 

これはなにやら皆がこぞって手に入れたがる難しい知識が得られるワケじゃない。

タイトルは学問のススメとあるが、勉強をせよ、というのが主題ではない。むしろ勉強だけではダメ、とハッキリ言っている。

 

あとは「自分の考えで他人を縛ってはいけない」「ねたみは百害あって一利なし」とか。この辺は是非、世の上司の方々に読んで欲しいところである。

 

この本を読んだ後は「自分の生き方」「周りの見え方」「行動の仕方」が確実に変わる。これこそ「教養」というものではないかと思う。

 

ここでボクの好きな言葉をひとつ。

 

勇気というものは、ただ読書して得られるものではない。読書は学問の技術であって、学問は物事をなすための技術にすぎない。実地で事に当たる経験を持たなければ、勇気は決して生まれない。

P74より

 

読書ばかりで行動しない、ボクのためにあるような言葉だ。この本はあなたの成長につながる「教養」として得られる部分が必ずどこかのページにあるはずだ。

 

勉強や読書だけが教養を得る手段ではない?

 

教養に関してこのような言葉もある。

 

真の教養とは、また、真の学識とは何かを問うとき、問題にすべきは権力や権威や名誉や金銭に断じて屈しない強靭な精神を育み、それをきちんと維持しているかどうかだ。そうしている者こそが本物の教養人であり、本物の学識者であり、本物の文化人であって、それ以外は世に害をなす寄生虫なのだ。

生きることは闘うことだ (朝日新書) P43より

 

今まで「本で得る知識が教養か?」を中心に話してきたけど、どうやら決して本を読んだり知識を得たりするだけが「教養」ではないらしい。

 

そして教養を勘違いしている人は寄生虫らしい。さっきの『世界の教養』の本は結構売れてるらしいが、読んで教養をつけたつもりになっているヤツは全員寄生虫ということでOK?

 

「精神を育み、維持しているかどうか」。

なにやら勉強などしなくても日常の生活から「教養」は手に入りそうである。

 

教養につながる行動とは?

 

ただただ何もせず、いつも通りに過ごすのは「精神を育み、維持しているかどうか」でいうと、多分違う。

「精神を育み」この部分が肝だ。

 

では何をすればいいのか。これはあくまで自分の考えではあるけど、2つある。

「自分の弱点を補う行動」

「毎日継続すること」

である。

 

ボクの場合「自分の弱点」とは「反論できないこと」である。

相手の立場関係なく「反論すること」がボクにとっての成長で「精神を育む」ことなのだと考える。

 

そして「毎日継続すること」はボクが一番難しいと思うことである。

「3日坊主」という言葉があるように、始めることは簡単でもそれを継続するのは非常に難しいことだ。難しいからこそ、精神力が鍛えられる。

 

「精神を育む」ための行動は人によって違う。当然書ききれないので、ボクの考えを記しておいた。

 

この「精神を育み、それを維持すること」に比べたら、さっきの「教養の本」みたいなのを読むのがどれだけ簡単なことかよくわかるし、そんな簡単なことで「教養」が手に入るわけがない、というのもよくわかる。

 

まとめ

 

まとめきれないので、無理やりまとめる。

 

とりあえず「教養がつく本」みたいな本を読むだけで教養はつかない、ということだ。それは「精神を育み、それを維持すること」に繋がらないと、ただの知識として終わる。

 

そしてなにより問題なのは、それで「教養がついた」と勘違いしてしまい、自分の成長を止めてしまうことだ。

 

「教養」は簡単にはつかない。意識して毎日を過ごさないことには決してつかないものなのである。