「働きたくない」という熱い想いだけは誰にも負けない

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「ヤバい」はヤバい

以前このような記事を書いて

kiyokiyo-1107.hatenadiary.jp

結論は「言葉は変わってくものだから、放っておけ」ということに至った。

 

この記事でもわかるように、言葉の変化に関しては寛容なボクでも、若者が使う言葉として(30歳以上もよく使う)どうしても許せないものがある。

 

 

それは「ヤバい」という言葉だ。

 

「この前彼氏とケンカしちゃって~」「なにそれヤバ~い」

「これ美味しいよね」「うん。ヤバい」

「あの人格好よくない?」「マジヤバいよね」

このように使われる。

 

このセリフは非常にヤバいので、どうヤバいのか、どこで使えばヤバくて、ヤバくないのか、誰に使えばヤバいのか、失敗すればどうヤバくなるのか、成功したらどのようなヤバいことになるのか、をヤバい頭でかつ、ヤバい勢いで考えていく。

 

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ヤバいの意味

 意味なんてない。ないゆえ、その使い勝手のよさは尋常じゃない。

 

美味しいものを食べた時、不味いものを食べた時、うれしい時、悲しい時、楽しい時、ムカつく時、綺麗な景色を見た時、凄惨な現場を見た時……

 

それ以外にも沢山「ヤバい」が使われる場面がある。例を出すとキリがないぐらいだ。

 

この言葉の何がヤバいかというと、相反するシチュエーション、どちらにも使えるところ。うれしい時も悲しい時も「ヤバい」で感情をうまく表現できる。その「ヤバい」はどうヤバいのか。その「ヤバい」の言い方によって良い意味にも悪い意味にもなる。

 

テンション高く「ヤバい!!」と言うと、良い意味の「ヤバい」だとわかる。テンション低く「ヤバい…」と言うと、悪い意味の「ヤバい」だとわかる。

表現力が豊富で、言葉ですべての感情を表現できる日本語において、この「ヤバい」はその時のテンションによって意味が変わってくる、というかなり欧米的な単語なのである。

 

わかるのは「良い」か「悪い」かだけで、その「ヤバい」にはどのような意味があるのかは、具体的にはわからない。「ヤバい」は「ヤバい」という意味なのである。

どんなシチュエーションで言われても「ヤバい」ものは「ヤバい」のである。なにこれヤバい。

 

「ヤバい」の便利なところ

 今まで「ヤバい」をディスってきたが、そんなボクもよく使う。

営業マン時代は、相手の話に興味がなかったり、疲れてきたり、自慢話ばかり続く時はついつい使ってしまっていた。

「ワシはな~昔社長やってたんやで!!」「ほう~それはヤバいっすね~」

「昨日、女房の不倫が発覚してな~」「それはヤバいっすね……」

「納期遅れてるけど、どうなってんだよ?」「ヤバいっす!!とにかくヤバいっす!!」

みたいな感じだ。

 

都合が悪くなるとすぐに「ヤバい」。それでなんとか乗り切れることもたまにはあった。

 

疲労がたまっており脳みそズルンズルン状態で、禄にモノも考えられない時は「ヤバい」で乗り切ることができる。それでも会話はなんとなく進んでいく。

 

ただ社長とかある程度の知能を持った人には使わない方がいい。ましてや幻冬舎の見城徹みたいなビジネスの鬼に「ヤバい」と言ってしまうと、その瞬間どれだけ商談が進んでいてもご破算だ。

 

たった一人の熱狂 (幻冬舎文庫)

↑こんな顔で怒られるので注意

 

その後の自分は大変ヤバい状態に陥ること間違いなし。「ヤバい」は使う相手を見極める必要がある。

 

「ヤバい」の悪影響とは?

 どんなシチュエーションでも使える、非常に便利な「ヤバい」であるが、これを使いまくっていると、悪影響が出てくる。周りに「アホっぽい」印象を与えるだけでなく、自分自身「考える癖」がなくなってくる。ということだ。

 

綺麗な夜景を見た時、「ヤバい」で片づけ、相手も「うん、ヤバい」と納得してしまうのだが、これを繰り返すと「言葉で表現する能力」が落ちてくる。

 

綺麗だと思う理由や、特に綺麗な部分や、独特の表現をしなくてはいけない部分などがあるはずなのだ。

 

「夕焼けと夜空のコントラストが良い」「光の絨毯みたい」「100万ドルの夜景だけど、君と見ていると1000万ドルの夜景だよ…」「人がゴミのようね…」とか。

 

なんでもいいのだが、とにかくこれらの事がすべて「ヤバい」で片づけられ、コミュニケーションが希薄になっているところがこの言葉のダメな部分だ。

さすがに「人がゴミのようね…」を「ヤバい」だけで表現することはできない。できるのはムスカぐらいだろう。

こんな会話ばかりしていると、考えて表現するという能力が落ちてきて当然である。

 

「ヤバい」を禁止してみる

 「ヤバい」は使い勝手が良く、便利な言葉であるが、考える癖がなくなっていく上、アホだと思われることもあるので、多用は禁物だ。

 

だから「ヤバい」を禁止し、それ以外の言葉に置き換える練習をしてみよう。どれだけ自分が「ヤバい」を多用し、頼ってきたかがわかる。

 

ボクは「ヤバい」を一度禁止したことがあった。

営業先で立派な壺を見せられたことがあった。全く興味がないのでいつもなら「ヤバいですね」で片づけるところ、他で表現するしかなくなったのだ。

「これは……美しい…、綺麗な流線型で、女性の理想のプロポーションみたいですね」

みたいなことを言った気がする。大層喜ばれたのはよく覚えている。

 

というように「ヤバい」(「すごい」も同じような意味なので禁止)を禁止することでその都度感想を具体的に考える必要が出てくるので、表現力が鍛えらえる。

 

さきほどの壺のくだりのように、作家もビックリの素晴らしい表現力が発揮できればいいのだが、中々出てこない時もある。

 

その時は表現するための材料がそろっていないので、質問をしてみる。質問することで「関心がある」ということをアピールでき、しかも会話が弾む。

 

「(なんか特徴のない壺だなぁ。見た目以外で表現してみるか)へえ、すごく高そうな壺ですね。いくらしたんですか?」

「それは言えんなぁ。ウン百万だよ(笑)」

「ウン百万!!それだけ高かったら家宝として大事にされてきたんでしょうねえ」

「そうやねんな~地震があるたび、心配になるよ」

みたいな感じで会話が盛り上がる。考える力も養えて、相手との距離も縮まる。「ヤバい」を禁止することは良いことしかないのだ。

 

まとめ

 「ヤバい」と言われても「ヤバいんか…」しかわからず、こちらも「ヤバいよね」と返すしかない。

「どうヤバいんか言えやボケ!!」なんて言えないぐらい皆「ヤバい」を連呼している。会話もどうしても薄っぺらくなりがちで、傍からだとアホ同士の会話にしか見えない。

便利ではあるけどやっぱり「ヤバい」は使わないに越したことはない。いつの日かファミレスのでの会話が「ヤバいよね」「うんうんヤバい」「あれもヤバいんだよね」「うんヤバいヤバい」

みたいにならないことを祈る。もうなってるところもあるが。