「働きたくない」という熱い想いだけは誰にも負けない

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通りすがりの挨拶はやめてくれ

無職になってから、毎日のウォーキングを始めた。公園をノシノシ歩くワケだが、少し困った事がある。

通りすがりの人が挨拶をしてくる事だ。

 

そこらの道で挨拶をされることはまずないのだが、公園に入ると途端に挨拶をされる率が高くなる。

登山での挨拶はマナーとしてあるらしいが(これがイヤなので、山もあまり登れない)、公園ではそんなマナーはないハズだ。自然のあるところでは人間は開放的になるんだろうか。

 

この急な挨拶は非常に迷惑だ。ボクは音楽を聴いているので、挨拶をされても聞こえないからだ。

だからと言って、無視をするのはちょっと抵抗がある。いや、無視しているつもりがなく、気づかないだけなのだが、向こうからすると完全に無視されたと思うだろう。

その気がなくても相手を不快させてしまうのはどうも気がひける。毎日歩いているので、その公園でボクの悪い評判が広まったらどうしようとか、余計な事を考えてしまう。歩きづらくなってしまうじゃないか。

 

だから挨拶をしてきそうなおばちゃんとすれ違う時は音楽の音量を下げ、急な挨拶に備える。ノリノリでイギーポップ聴いていたとしても音量を下げる。ミック・ジャガーが声を張り上げ出した所でも関係ない。

一番盛り上がるところでテンションを下げなくてはいけない気持ちがおばちゃんにはわかるだろうか。

 

また歩いている時は自分の世界に浸っているので、挨拶をされる度中断される。

木村文乃と新婚生活を送っている最中(妄想で)に挨拶をされるとすべては脆くも崩れ去る。

ボクの妄想世界をすべて破壊する「バルス」くらいの威力を持った言葉。それが通りすがりの人からの急な「こんにちは」なんである。

 

この破壊の呪文はいつなんどき来るかわからないから怖い。

時には後ろから来るときもある。ボクを抜かしつつ、声を掛けてくるのだ。ホントビックリするからやめてほしい。慌てて「あ、ああ、こんちわ…」てな感じになる。完全に引きこもりのコミュ障だ(実際そうなんだけど)。挨拶をするにも心の準備がいるのだ。

 

「挨拶」というのはすごくいい事だとされている。気持ちよく挨拶をしたら自分も相手も気持ちがよい、らしいが、ボクは気持ちよくなった事がない。しなければいけないからしている。義務感から発せられる挨拶以外をしたことがない。

 

だから極力自分からはしないようにしている。したくないから。めんどくさいし、相手も義務感からしてくるので、どちらにしても気持ちよくない。

皆「しなければいけない」からしているだけ。もっと言えば「しないと嫌な奴と思われる」からしているだけで、ある意味すごく自己中心的な行動と言える。お互いの義務感から発せられる挨拶ならしない方がマシだ。

 

公園のおばちゃんは少し開放的になっているので挨拶をする度、自分が気持ちよくなってるんだろうけど、された方は溜まったものじゃない。それは自分が気持ちよくなりたいからしているだけの自己中な行動だとボクは思う。

 

おばちゃんは悪気があってしているワケではないが、された側にはこういう奴もいる、という事を肝に銘じてもらいたい。こんな気持ちは挨拶をしてくるおばちゃんには一生理解できないだろうなあ。伝える機会もないし。この急な挨拶がなくなる事はないだろう。

 

登山の挨拶ルールもなくなればいいのに。自然と触れ合える機会である登山で、なぜいちいちすれ違った人間と触れ合わないといけないのか。こちとら人間がイヤだから山登ってるんですけど。

挨拶なんて習慣なくなってしまえばいいのに。